ゆかりの情報Information that is famous in connection with Ieyasu

華陽院[ 神社・仏閣 ]

静岡県静岡市

家康公の祖母・源応尼の菩提寺
竹千代の人質時代〔8-19歳〕には、華陽院近くに竹千代の祖母(源応尼)が暮らし、三歳で母と生き別れた竹千代を親代わりとして面倒をみていました。華陽院は最初は智源院と呼ばれていましたが、源応尼が亡くなると家康公は50年の法要を営み、源応尼の法名「華陽院殿玉桂慈仙大禅定尼」から、寺の名を「玉桂山華陽院府中寺」と改めています。それが現在の華陽院です。
祖母源応尼は竹千代の生母の母親で、竹千代の付添人として駿府に滞在していた経緯から、竹千代もこの寺の住職(智短和尚)から学問を学んでいたといわれています。また家康公と側室との間に出来た娘〔市姫〕は、慶長15年(1610)2月12日に7歳で亡くなると、家康公は祖母の葬られたこの寺に市姫を懇ろに葬りました。
江戸時代の華陽院の境内は広く、寺に面した東海道の町を華陽院門前町と呼んで親しまれていました。ここは横田領分でしたが、家康公の祖母源応尼の菩提寺〔華陽院〕ができたことから、華陽院門前町として一丁を形成したといいます。祖母源応尼は家康公〔幼名竹千代〕が今川家に人質として天文20年(1551)駿府に送られると、孫である竹千代の身の回りの世話をするため、寺の近くに庵室を設けていました。竹千代は岡崎を離れ、人質として寂しい生活を余儀なくされていましたが、祖母源応尼の親身の愛情を注がれ心を和ませられたといいます。

案内情報

  • 名称
    華陽院
  • 住所
    静岡県静岡市葵区鷹匠2丁目24-18
  • 電話
    054-252-3673

静岡県TOPページへ戻る