ゆかりの情報Information that is famous in connection with Ieyasu

浜松城[ 城・史跡 ]

静岡県浜松市

家康公が築いた出世城
のちに江戸幕府を開いた徳川家康が、1570年に引間城を拡大して築いた城です。1958年に再建された天守閣内には、家康の歴史的資料や武具などが展示されています。400年以上の風雪に耐えた野面積みの石垣も見所のひとつ。春には、桜の名所として賑わいます。
居城した29歳から45歳までの17年間は、家康にとって、武田信玄との三方原の戦いで大敗し、織田信長の命により嫡男の信康を切腹させるなど、艱難辛苦を味わった時代でした。しかしその経験が天下とりの礎になったのです。
家康をはじめ、歴代城主の多くが後に幕府の要職に登用されたことなどから、浜松城は「出世城」とも呼ばれています。1575年、15歳で家康の側近である小姓となった井伊直政(幼名虎松)も、この城で功績を重ね、出世の道をひらきました。
虎松が初めて家康に謁見したのは、鷹狩りの帰り道でした。凛々しい少年を気に入り、浜松城に連れ帰った家康は、虎松が自分との内通を疑われ今川氏に殺害された直親の嫡男であると知り驚き、すぐに万千代の名を与え小姓に取り立てたといわれています。その後、井伊谷の領を持つことも許しました。
万千代は、22歳で元服し直政を名乗ります。勇敢な戦いぶりで美男子ながら『井伊の赤鬼』とおそれられ、徳川四天王のひとりに。豊臣氏を破った『関が原の戦い』でも大活躍し、その勲功をもって近江(滋賀県)佐和山城主となりましたが、関ヶ原で負った傷が癒えずにこの世を去りました。
直政の子孫は代々彦根藩主となり、幕府の大老を何人も輩出。江戸幕府を政治的に支えました。

案内情報

  • 名称
    浜松城
  • 住所
    静岡県浜松市中区元城町100-2
  • 電話
    053-453-3872

静岡県TOPページへ戻る