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清瀧寺[ 神社・仏閣 ]

静岡県浜松市

父の家康に自害させられた信康を祀る。家康が霊廟と位牌堂を建立
天下人、徳川家康も、戦国時代は直虎や井伊家の人々同様、艱難辛苦を味わってきました。
その最たるものが、嫡男の信康を自害させたことでしょう。
清瀧寺は、実の父に切腹を命じられて21歳で散った悲劇の若武者、徳川(松平)信康を祀っています。
信康の母で徳川家康の正妻、築山殿は、今川氏の姫。直虎の祖父で井伊家城主だった井伊直平の娘は今川に嫁いでおり、その娘、つまり直平の孫だったといわれています。ということは、信康も井伊家の血をひく人でした。
「なぜ、家康が信康を殺さなければならなかったか」については諸説ありますが、通説では、信康の正妻で織田信長の娘である徳姫が、信康と築山殿が武田氏に通じていると信長に訴えたからでした。
訴えをきいた信長は、家康に、築山御前と信康を処刑するよう求めました。
信長は同盟相手でしたが、当時の力関係では、家康にとって逆らうことはできない相手でした。
家康は家臣の反対の中で、信康に切腹を命じ、天正6年(1579年)9月15日、信康は二俣城で自害。亡骸は、城から峰続きにある小松原長安院に葬むられました。
翌年、家康は同院に信康の位牌堂を建立。その後、詣でた際に脇を流れる清涼な滝にちなみ、『清瀧寺』と名を改めさせました。
信康の位牌の他に、本堂内には、家康の木像や徳川家歴代将軍の位牌が安置されています。

案内情報

  • 名称
    清瀧寺
  • 住所
    静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405
  • 電話
    053-925-5845

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