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中村家住宅[ その他 ]

静岡県浜松市

家康の側室・お万の方が出産した名家の屋敷を再築
中村家の初代は、源氏の末裔の武士で、16世紀の今川氏の時代には、同氏の家臣として浜名湖の軍船を支配しました。 1568年に徳川家康が遠江に侵攻したとき、中村家の18代正吉は、舟を出して迎え、以降、家康に仕え、今切軍船の兵糧奉行や代官を務めました。
家康の信頼厚く、浜松城主だった1574年、側室お万の方は、於義丸(後の結城康秀・家康の第2子)を、この中村家の屋敷で出産しました。その時の後産を埋めた「胞衣塚(えなづか)」が現存しています。
1590年、天下を平定し、家康は関東へ移りましたが、中村正吉はこの地に残り、庄屋を務めていました。その後、結城秀康を藩主とする福井藩から武士の格で扱われ、浜松藩主からは、秀康誕生の御殿や胞衣塚の修繕を目的として、金銀を与えられています。
中村家は、一般の庄屋たちとは異なり、浜松城主と単独で拝謁できるほど格式の高い家柄となり、子孫たちも各本面で活躍しました。
宇布見に居を構えたのは、1483年といわれています。
その住まいは、中村家住宅として残されています。約3千平方メートルの敷地内にある寄棟造葦葺平屋建の主屋は、 国指定重要文化財。貞享5年(1688年)の銘がある鬼瓦が主屋に保管されていたことから、この時代にほぼ完成していたと考えられます。現在残る主屋は、それを解体復元したものです。
結城秀康の胞衣塚の梅の木は、徳川家康のお手植えと伝えられています。

案内情報

  • 名称
    中村家住宅
  • 住所
    静岡県浜松市西区雄踏町宇布見4912番地の1
  • 電話
    053-596-5585

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